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『君と守りし妖精の藍花』第5話 涙の湖と最後の種

妖精は、ゆっくりと重い記憶を語りはじめた。
ひとつ、またひとつ──掘り起こすように。

妖精の国が滅びた理由。
藍色の花の真実。
人間との希望と、そして破滅の物語——そのすべてを。

少年は、ただ黙って聞いていた。
真剣なまなざしで、目をそらすことなく。
妖精の言葉のすべてを、受け止めようとしていた。

「……妖精の国が滅んだのは、人間が藍色の花を求めて来たから?」

少年がぽつりと問いかける。

妖精は小さく頷いた。
静かに、けれど確かに。

「藍色の花は……病を治すものなんかじゃない。
ただ……その香りに包まれた者に、安らかな夢を見せるだけ。
それだけなのに……」

少年は苦しげに唇を噛んだ。

「夢を見せるだけなのに、人は……薬だと信じて、奪い合ったのか……」

「私は……守れなかった」
妖精はゆっくり首を振った。

「信じれば、すべては繋がるって……。
でも、あの頃の私は何も知らなかった……人間が、あんなふうに、全部奪っていくなんて……」

「でも、それは君のせいじゃ——」

「私のせいよ!」

妖精は少年の言葉を遮り、叫んだ。
声は震え、涙が頬を伝い、湖面に落ちた。

「私が信じて、人間たちを迎え入れたから……!
やめてって、何度もお願いしたのに……助けてって、叫んだのに……」

少年は、ただ黙って見つめることしかできなかった。
妖精の叫びは、まるで遠い波が静かに岸を打つように、少年の胸に響いた。

しばらくの沈黙が降りる。
やがて妖精は、かすかな声で言った。

「……ごめんなさい。少し、ひとりにさせて」

湖畔にしゃがみ込む妖精の背中に、そっと風が吹く。
水面を揺らすほどでもない、やさしい風だった。

少年は少し離れた倒木に腰を下ろし、頬杖をつきながら、静かに彼女を見守った。
今は何も言葉が浮かばなかった。
ただ、そばにいることだけを選んだ。

* * *

妖精の胸には、怒りと哀しみが渦巻いていた。
無垢に信じて招き入れた自分。
欲望に染まり、花を奪い、妖精の命を奪っていった人間たち。

叫んでも届かない恐怖と絶望——
忘れたかった。けれど、忘れてはいけなかった。

……けれど。

その奥で、もうひとつの小さな灯が芽生えていた。
少年の手のひらのぬくもり。
一緒に旅をして、語り、笑い合った日々。
孤独だった心を、そっと満たしてくれた存在。

もし人間すべてが悪であるならば——
なぜ彼は、あんなにも真っ直ぐな瞳で、私を見てくれるのだろう?

「……人間は嫌い……でも、彼は……」

妖精はかすれた声でつぶやき、胸元に手を添えた。

その奥で、静かに脈打つものがあった。

——命の根源。

今、はっきりと分かる。
藍色の花の〈種〉──

かつて、女王としての自分が、滅びの中で未来に託した最後の希望。
それが今、この小さな姿となって、この地に舞い戻っていたのだ。

「私は……最後の藍色の花。
いいえ──花の“種”……」

湖面に映る自分は、小さく儚く、それでも確かな光を宿していた。
この命を使えば、再び藍色の花を咲かせることができる。
かつてのように湖畔に花が咲き誇り、妖精の国が息を吹き返すかもしれない。

——そして。
あの少年が願っていた妹のために、たった一輪の花を託すこともできる。

けれどそれは、同時に。

自分が再び〈種〉に還ることを意味していた。

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