妖精は、ゆっくりと重い記憶を語りはじめた。
ひとつ、またひとつ──掘り起こすように。
妖精の国が滅びた理由。
藍色の花の真実。
人間との希望と、そして破滅の物語——そのすべてを。
少年は、ただ黙って聞いていた。
真剣なまなざしで、目をそらすことなく。
妖精の言葉のすべてを、受け止めようとしていた。
「……妖精の国が滅んだのは、人間が藍色の花を求めて来たから?」
少年がぽつりと問いかける。
妖精は小さく頷いた。
静かに、けれど確かに。
「藍色の花は……病を治すものなんかじゃない。
ただ……その香りに包まれた者に、安らかな夢を見せるだけ。
それだけなのに……」
少年は苦しげに唇を噛んだ。
「夢を見せるだけなのに、人は……薬だと信じて、奪い合ったのか……」
「私は……守れなかった」
妖精はゆっくり首を振った。
「信じれば、すべては繋がるって……。
でも、あの頃の私は何も知らなかった……人間が、あんなふうに、全部奪っていくなんて……」
「でも、それは君のせいじゃ——」
「私のせいよ!」
妖精は少年の言葉を遮り、叫んだ。
声は震え、涙が頬を伝い、湖面に落ちた。
「私が信じて、人間たちを迎え入れたから……!
やめてって、何度もお願いしたのに……助けてって、叫んだのに……」
少年は、ただ黙って見つめることしかできなかった。
妖精の叫びは、まるで遠い波が静かに岸を打つように、少年の胸に響いた。
しばらくの沈黙が降りる。
やがて妖精は、かすかな声で言った。
「……ごめんなさい。少し、ひとりにさせて」
湖畔にしゃがみ込む妖精の背中に、そっと風が吹く。
水面を揺らすほどでもない、やさしい風だった。
少年は少し離れた倒木に腰を下ろし、頬杖をつきながら、静かに彼女を見守った。
今は何も言葉が浮かばなかった。
ただ、そばにいることだけを選んだ。
* * *
妖精の胸には、怒りと哀しみが渦巻いていた。
無垢に信じて招き入れた自分。
欲望に染まり、花を奪い、妖精の命を奪っていった人間たち。
叫んでも届かない恐怖と絶望——
忘れたかった。けれど、忘れてはいけなかった。
……けれど。
その奥で、もうひとつの小さな灯が芽生えていた。
少年の手のひらのぬくもり。
一緒に旅をして、語り、笑い合った日々。
孤独だった心を、そっと満たしてくれた存在。
もし人間すべてが悪であるならば——
なぜ彼は、あんなにも真っ直ぐな瞳で、私を見てくれるのだろう?
「……人間は嫌い……でも、彼は……」
妖精はかすれた声でつぶやき、胸元に手を添えた。
その奥で、静かに脈打つものがあった。
——命の根源。
今、はっきりと分かる。
藍色の花の〈種〉──
かつて、女王としての自分が、滅びの中で未来に託した最後の希望。
それが今、この小さな姿となって、この地に舞い戻っていたのだ。
「私は……最後の藍色の花。
いいえ──花の“種”……」
湖面に映る自分は、小さく儚く、それでも確かな光を宿していた。
この命を使えば、再び藍色の花を咲かせることができる。
かつてのように湖畔に花が咲き誇り、妖精の国が息を吹き返すかもしれない。
——そして。
あの少年が願っていた妹のために、たった一輪の花を託すこともできる。
けれどそれは、同時に。
自分が再び〈種〉に還ることを意味していた。