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『君と守りし妖精の藍花』第4話 罪の記憶と藍の約束

深く、静かな霧が森を包んでいた。

妖精と少年は、幾重にも重なる古木を越え、冷たい苔の絨毯を踏みしめながら進んでいた。森の奥へと進むにつれ、妖精の胸の奥に眠る記憶の断片が、微かに呼び起こされていくような感覚があった。それとともに胸のうちに押し寄せる、――恐怖と不安の感情。

妖精は足を止め、薄く開いた唇を震わせた。羽が微かに震え、光を纏ったその小さな体が、わずかに後ずさる。

「どうしたの!?」

妖精の変化に気づいた少年が足を止め、問いかける。

妖精は答えなかった。ただ、その瞳がどこか遠くを見つめていた。冷たい記憶の底に、ひたひたと水が満ちていくように、恐怖が広がっていた。

「怖い……」

か細く漏れたその声は、霧の中に吸い込まれるように静かだった。

「この先に、何かあるの?」

「分かってる……この先が、妖精の国だった場所。私はここへ来ることが、とても怖いと感じるの……でもそれがなぜか、わからない」

少年は黙って彼女に近づき、そっと掌を差し出した。妖精は迷った末に、その上に降り立ち、うずくまるように小さく身を縮めた。

「引き返そう。君が怖い想いをするくらいなら、引き返してもいいんだ」

「……いいえ。行かなきゃ、思い出さなきゃ。私が何者なのか……藍色の花が、他の妖精たちがどうして消えたのか……それに」

妖精は少年の顔を見上げ、笑いながら応えた。

「あなたと出会えたことも、こうしてここまで来られたことも、きっと偶然なんかじゃない。だから……私はもう、逃げたくない」

少年は静かに頷いた。

「じゃあ、僕も一緒に行く。君をひとりにはしないさ」

妖精の胸の奥に、ふわりとぬくもりが灯る。

恐怖を完全に消すことはできなかった。けれど、少年の手のひらの温もりに包まれたその瞬間、心の中の何かが、そっとほどけていくのを感じた。

……そして、ふたりはまた歩き始める。

それは、記憶と運命の湖へと至る道だった。

* * *

道なき道を進むうち、木々の隙間から淡い光が差し始めた。霧が次第に薄れ、ふたりの前にぽっかりと開けた空間が現れる。

そこには、かつて妖精の国があり、藍色の花が一面に咲き誇っていた――記憶の湖が、静かに横たわっていた。

湖は、まるで時の流れを拒むかのように、物音一つなく沈黙していた。水面は鏡のように滑らかで、雲一つない空と深い森の緑を、ゆがみなく映し出している。だが、湖のほとりには、かつて夜に淡く輝いていた藍色の花の姿は、どこにも見当たらなかった。

妖精は、宙に浮かんだまま足元を見つめ、そっと地に降り立った。羽が細かく震え、小さな肩がかすかに揺れている。少年が心配そうに見つめる中、彼女は無言で湖のほとりへと一歩、また一歩と近づいていった。

――その瞬間だった。

頭の奥に、鋭い光が走る。胸の内から、忘れ去られていた声と映像が奔流のようにあふれ出す。

――夜の湖。藍の花が波打つように咲き誇る風景。

――その中心で微笑む自分。

――そして、数多の人間を優しく招き入れる、女王としての自分の姿。

「……私……あの時……」

声は震え、瞳の光が消えていく。代わりに、底の見えない悲しみがその表情を覆っていった。

思い出してしまったのだ。

自分が、妖精たちの女王であったことを。

藍色の花の輝きの中で、人間に恐れも疑いも持たず、この地へと招き入れたことを――。

だが、その信頼は、無惨にも裏切られた。

人間たちは、藍色の花の香りが安らぎの夢をもたらすことを知ると、それを「万病に効く奇跡の花」と誤解した。そして欲望のままに花を摘み、持ち帰り、争い、奪い合った。

藍色の花が刈られるたびに、その花と繋がっていた妖精たちの命は、静かに、そして確実に消えていったのだ。

妖精は、呆然と湖を見つめながら呟いた。

「……あのとき、私が……人間を信じて、この地へ招いたから……だから……」

少年は言葉を失ったように沈黙し、やがて、静かに口を開いた。

「一体ここで……何があったの?」

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