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『君と守りし妖精の藍花』第7話 妖精と見る夢

少年は、静かな湖畔を後にした。
妖精の国があった場所を振り返ることなく、まっすぐ帰路につく。

いくつもの夜を越え、ようやく家の前にたどり着いたとき——
扉の前で深く息を吸い、静かに扉を叩いた。

「……ただいま」

開いた扉の向こうで、母親は言葉を失ったまま、少年を見つめた。
大きく開かれた瞳に、信じられない思いと、あふれ出す安堵の涙が滲んでいた。

「……ああ、無事で……」

小さく頷いたその瞬間、母親は少年を強く抱きしめた。
細い腕に力を込め、背中にしがみつくように、何度も名を呼んだ。

「よかった……どれだけ心配したか……! ずっと、ずっと……!」

少年は静かにその肩に手を添え、そっと目を閉じた。
あたたかな匂いと涙のぬくもりが、胸にしみていく。

* * *

囲炉裏の火が、静かに揺れていた。
その傍らで、少年はゆっくりと語り始める。

蒼月の森で出会った小さな妖精のこと。
藍色の花の真実。
妖精の国の滅びの記憶。
そして最後に託された、あの小さな種のこと——

母親は、湯飲みを両手で包みながら、黙って耳を傾けていた。
ときおり涙を拭いながら、静かに頷いて。

「……あの森で、そんなことが……」

呟くその声は、驚きではなく、静かな敬意に満ちていた。
そして、そっと少年の頬に手を添えた。

「ありがとう……あなたが無事で帰ってきてくれただけで、それだけで……」

その言葉の先は、涙に溶けた。
少年は母の手をそっと握り返した。

* * *

夜、少年は妹の部屋に足を運んだ。
本当は妹の病を癒すために森へ向かった。
けれど、手にした種は湖畔の土に埋めた。
何も持ち帰れなかったその無力さが、胸に重く残っていた。

枕元には、やせ細った妹が横たわっていた。
けれど兄の姿を見た瞬間、少女の瞳はぱっと輝きを取り戻す。

「……お兄ちゃん! やっと帰ってきたんだね!」

少年は微笑んで頷き、妹の小さな手をそっと握った。

「お前の病気を治してあげたかったのに……ごめんよ」

妹は、そっと手を握り返して微笑んだ。

「いいの。そんなこと気にしてない。お兄ちゃんが帰ってきてくれて、うれしい」

そして、目を輝かせながら続けた。

「ねえ、お母さんから聞いたよ、妖精さんのこと。教えて、どんな子だったの?」

少年は、少し照れくさそうに語りはじめた。

「……その子はね、僕の手のひらに乗るくらい小さくて、羽が光るんだ。
風に乗って、舞う花びらみたいにふわっと舞ってさ。
最初は少しそっけなかったけど、だんだん仲良くなって——」

妹は夢中で話を聞き、時には笑い、時には目を潤ませて頷いた。

「……本当に妖精っているんだね。とても素敵な妖精さん……」

少年も、そっと手のひらを見つめる。
そこにいた、あの小さな重みと羽音を思い出しながら。

「……その妖精さん、きっとお兄ちゃんのこと、好きだったんだね」

不意にそう言われ、少年は返す言葉を失った。

「……わかんない。でも、僕はあの子のことが大切だった」

妹は目を閉じ、穏やかに微笑んだ。

「きっとまた、会えるよ。だって、お兄ちゃんは……ちゃんと守ったんだもの」

少年は小さく頷いた。
けれど、胸の奥に浮かぶあの笑顔は、もう二度と会えない気がして、言葉は喉に詰まった。

「夢の中でもいいから……私も妖精さんと旅がしたいなぁ……」

そう呟いた妹は、ゆっくりと眠りに落ちていった。

妹の寝顔には、笑顔が浮かんでいた。まるで妖精との旅の続きを夢で見ているかのように。

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