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『君と守りし妖精の藍花』第6話 君のいない森に、藍は咲く

妖精は、そっと少年の前に飛び立った。
小さな羽音が、湖の静けさをそっと揺らす。

「ねえ……」

その声に、少年が顔を上げる。
祈るように見つめるまなざしが、そこにあった。

「私ね、わかったの。私が何者で、なぜ生まれてきたのか……そして、何を残すべきなのかも」

少年は何も言わず、静かに耳を傾けていた。
その瞳が語っていた——「聞いているよ」と。

「私は……藍色の花を咲かせる“種”なの。
ここに花を根付かせて、妖精の国を再生するための、たったひと粒の種——」

言葉を継ぐうちに、妖精の声は震えはじめた。
顔を伏せ、泣きそうな表情を浮かべる。

「だから……あなたとは、ここでお別れ」

その一言は、少年の胸を鋭く貫いた。

「……どうして、そんな……」

かすれた声で、ようやく絞り出した言葉は、情けないほどに掠れていた。

「一緒にここまで来たじゃないか。なのに、こんな……」

伸ばしかけた手が、途中で止まる。
届かないと知ってしまったから。

妖精は涙を浮かべながらも、揺るぎない決意の光をその瞳に宿していた。

「私は……人間が嫌い。許せない。だけど——」

彼女はふっと微笑んだ。

「あなたと出会って、私は違う想いも知ったわ。
うまく言えないけど、嬉しくて、あたたかいもの。
あなたがいてくれたから、私はここまで来ることができた」

少年の目が、大きく揺れる。

「だから私は、あなたに託したい」

妖精はゆっくりと、少年の手のひらに降り立った。
ふわりと羽が揺れ、淡い光が少年の掌に宿る。

「この種をどう使うか、あなたに決めてほしい。
妖精の国を再び咲かせるためか。
それとも、あなたの大切な人のために使うのか——
どっちも、きっと間違いじゃないから」

優しい声だった。
でも、その別れの覚悟が滲んでいた。

「……どうか、私の“種”を、託させて」

そして、妖精の小さな身体は淡い光となってゆく。
まるで花が静かに散るように——
やがて一粒の光の種へと姿を変え、少年の掌に落ちた。

湖に静かに風が吹く。
空は高く、澄んでいた。

少年の手の中には、藍色にほのかに輝く、小さな種が残っていた。

* * *

少年は、そっと手のひらを見つめた。
掌に残る、妖精の最後のぬくもり。
それが愛おしくて、指を閉じることができなかった。

静かな湖面。
空を映す青が、まるで止まった時のように透き通っている。

「あなたに、託したいの——」

あの微笑みが、今も胸に残っている。

妖精の森に至るまでの旅のすべてが、記憶に蘇る。
小さな羽音と共に歩いた森。
肩に乗った妖精のわずかな重み。
星降る夜に交わした言葉。
怒りと涙。
そして最後に見せた、あの微かな笑顔。

けれど少年の心は揺れていた。
この種を持ち帰れば、病の床にある妹に安らかな夢を見せられるかもしれない。
けれど……彼女の願いも、ここにある。

少年は空を仰いだ。
目を閉じ、深く息を吸う。

やがて、静かに膝をつき、掌の藍色の種を湖畔の柔らかな土へと埋めた。

「僕は……また君に会いたい」

その言葉は、祈りのように、そっと風に溶けていった。

やがて、空から一筋の光が差し込んだ。
その柔らかな光の中、湖畔の土に埋められた小さな種が、静かに脈打ち始めていた——

新たな物語が、そこから芽吹こうとしていた。

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