蒼月の森の奥深く。
少年と妖精は、ゆっくりと静かな道を進んでいく。
道なき道。
絡み合った枝や茂みが行く手をふさぐが、宙を舞う小さな妖精が先を照らし、少年はその後を迷わずに歩いていった。
「ねえ、妖精って……みんな君みたいに飛べるの?」
ふいに少年が尋ねた。
ふわりと舞い上がった妖精が、くすりと微笑む。
「もちろんよ。私たちは花から生まれた妖精。
花びらが風に乗るみたいに、自由に空を舞うの。」
「すごいなぁ……僕も飛べたらいいのに」
少年が憧れるように言うと、妖精はくすりと笑った。
「でもあなたは、地をしっかり踏みしめて歩いてるじゃない。
それだって、すてきなことよ」
「ははっ、確かにそうだ」
少年も笑いながら頷く。
そのやりとりに、妖精の胸の奥がじんわりと温まっていく。
長い孤独だった。
妖精の花が消えて、仲間が消えて、誰とも言葉を交わさぬ日々が、どれほど続いただろう。
けれど今は違う。こうして誰かと歩き、話し、笑い合っている。
心の奥にあった孤独が、少しずつ溶けていく気がした。
「……ねえ、妖精の国には、他にも妖精がいるの?」
少年がふいに問いかける。
妖精は羽をふわりと揺らし、しばらく考えたあと、小さく首を振った。
「……もう、いないわ。
私以外の妖精を、この森で見たことはずっとない」
「君だけ?……どうして?」
「覚えていないの。
昔、妖精の国にいた記憶はあるけど……
どうして国が滅びたのか、なぜ今わたしだけが残っているのか……思い出せないの」
「……そうなんだ……ごめん」
少年は思わず目を伏せた。
何が「ごめん」なのか、うまく言えなかった。
ただ、妖精の静かな声に、長い孤独を感じて、胸が締めつけられた。
しばしの沈黙。
葉擦れの音が、ふたりの間を優しく埋める。
やがて、妖精がそっと尋ねた。
「……あなたは、どうして藍色の花を探しているの?」
少年は空を仰ぎ、森の向こうにある村を思い描くように言った。
「……妹が、病気なんだ。
小さい頃からずっと寝たきりで……母さんもずっと看病してて。
でも、もう治す手立てがなくて……」
少年の声がかすかに震えた。
けれど、その瞳には揺るがぬ光があった。
「……それでも、僕にできることが何かあるなら……やってみたかったんだ。
祖父が昔、妖精の国にはどんな病も癒す藍色の花が咲くって語ってくれた。
だから、僕はここに来た」
妖精は、その真剣な横顔を見つめる。
まっすぐな想い。
それは自分とは違う生き方だったけれど、その強さが、不思議と心をあたためた。
「……あなたは、優しいね」
そう呟くと、少年は顔を赤らめた。
「そ、そうかな……妖精に褒められるのって、不思議な感じだな」
「ふふっ。私、誰かとこんなふうに話すの……本当に久しぶりなのよ」
「じゃあ、これからは僕が一緒にいるよ。いいだろ?」
少年のまっすぐな言葉に、妖精の瞳がわずかに丸くなる。
「君が一人でいるなんて、なんだかもったいないしさ」
その笑顔はまるで、暗い森に差し込む一筋の光のようだった。
妖精は、小さく微笑み、そっと少年の肩に降り立った。
「……じゃあ、一緒に行きましょうか」
柔らかな声が、森に響く。
その微笑みは、夜明けの霧に差し込む朝日よりも、あたたかかった。
こうしてふたりは、より深き森の奥へと歩みを進めた。
小さな羽と、人の手と。
まだ知らぬ〈妖精の国〉の真実を目指して——。